採用についての考え方2015年04月27日
経営をしていると様々な方とお話をします。
採用面接もそのひとつです。
当社の場合、比較的に前職で打ちのめされてから辿り着く方が多いです。
採用するか否かは別として、たくさんの人たちと向き合う機会を頂く中で最近思うことは、
面接が終わって帰る時には「元気」になって帰って欲しいと願っています。
数えきれない程の会社がある中から、悩みに悩んで当社を選び、
間違えないように履歴書を直筆で書き上げ、落とされないように志望動機を考え、
得意なことをPRする。
それだけでも大変な作業でしょう。
前職での挫折から社会に不安を抱き、
前の日から不安と戦いながら面接に臨むことと思います。
少なくとも、最低限のマナーや真っ直ぐな思いが感じられたならば、
当社も誠意をもって真正面から面接します。
結果がどうであれ、当社に面接に来て良かったなぁ。
と思って帰ってもらえたなら嬉しいですね。
ご縁があって労使関係に至った場合も、この会社に入って良かった!
と言ってもらえるような、社会に必要とされる会社で在りたいです。
また、当社で成長して卒業していく人も、当社で成長し続けたいと思う人も、
当社とのご縁を「良かった」と思ってもらいたいです。
その為には社長が成長し能力を高める必要があります。
会社が学校だと例えた場合、一般的に先生の能力以上に
生徒の能力を高められないと思いますので、常に深く考え、学び、成長して、
社員の潜在能力を引き出せるような経営者になりたいですね。
新しい出会いは、いつでもワクワクしますね!
がんばろっと!(^∇^)ゞ
「孤独な経営者から幸せな経営者へ」2013年03月13日
お久し振りです。
先日、酒井が勉強させて頂いている愛知中小企業家同友会の
東三河支部3月例会にて報告者を拝命いただきました。
酒井が入会して3年7ヶ月で3回目の報告となります。
多くの経営者様の前で話をする事は非常に学びになり、
この経験が何よりも自分自身の成長に繋がります。
報告内容は
「孤独な経営者から幸せな経営者へ」
酒井が起業した経緯と同友会に入会するまでの11年間の孤独な自分、
入会して、たくさんの方々に支えていただき3年7ヶ月が経過した
現在の自分の変化について、40分間のお時間を頂き、
社員を大切に思う気持ちをどのようにして表現し実践していったのか。
同友会での学びから培った「思いを共有できる仲間と協働する」について報告しました。
自社に誇りと愛着を持って仕事をしてもらう事はとても大切な事です。
そのことが、お客様へのサービスにダイレクトに反映されます。
これからも、社員やパートナー企業様と
『太陽のように輝こう!』の理念のもと、
一緒に成長していきたいと思いました。
いつも本当にありがとう。
感謝です。
酒井のルーツNo12010年08月31日
先日の日曜日、久しぶりに山へ遊びに行って来ました。
忙しいとか何とか言っちゃって、ろくすっぽ顔も見に行かない私を
快く迎えてくれる人がその山には居ます。
私は酒井のルーツなるものがこの辺りの山一帯にあるのだと思っています。
私は生まれも育ちも豊川市で、現在も豊川市で根を下ろしています。
子供の頃、時々両親の幼い頃の話を聞かされてきました。
父方の祖先は奥三河、旧北設楽郡東栄町古戸(ふっと)という場所から出て来たそうです。
母方の祖先は奥三河、旧北設楽郡東栄町中設楽という場所から出て来たそうです。
残念な事に色々な理由から現在はどちらの家も手放してしまい、
休日などにそこへ行ってゆっくり遊んだりってことは出来ません。
ただ、ひとつだけ私たちが寄らせていただける場所があります。
それがこの写真の家なのです。
山の斜面に建てられたこの家は、私の母方の祖母の生家なのです。
旧北設楽郡東栄町大字東園目という場所です。
「志多ら太鼓」で有名になった旧東園目小学校がある地域です。
遠い親戚に当たる私たちを今でも温かく迎えてくださいます。
雲が近くて、山や川、自然に囲まれた場所で時間が止まったように静かな場所です。
時々ですがここへ寄らせていただき、川遊びやお酒を飲みながらお話しするのが
酒井の楽しみなのです。
私が山や清流、田舎が好きなのは、きっと山奥の遺伝子がそれを望むからだろうと
そして遠く離れた豊川で、お祭りや盆踊りなど地域の繋がりを楽しみにしているのも
きっとそんなことからなのだろうと。
40間近になった最近、すごくそう思います。
おばさん、いつまでも長生きしてくださいね~。
また遊びに寄らせていただきます。
いつも温かく迎えてくださって、ありがとうございます。
子供の頃、よく泳いだ川。楽しかったなぁ~(笑)
心から感謝。
タグ :酒井のルーツ
私たちのスタンド・バイ・ミー2010年03月15日
→私たちのスタンド・バイ・ミー。No1はこちら←
→私たちのスタンド・バイ・ミー。No2はこちら←
→私たちのスタンド・バイ・ミー。No3はこちら←
→私たちのスタンド・バイ・ミー。No4はこちら←
→私たちのスタンド・バイ・ミー。No5はこちら←l

ヨットに乗ると先に救助されたXXX達【Aグループ】は
船室の中で凍える身体に暖をとっていました。
『大丈夫だった!?』
『やばかったよ。。。』『ヨットが来てくれて良かったよ。』
『死ぬところだった。。。』
口数も少なくテンション最悪。。。
ヨットの碇を下ろした【船長】?が船室に入ってきて
『お前ら馬鹿しやがって!』『ボート盗んだって警察に突き出すぞ!』
『こいつら助けたら返すつもりだったんだ!』
『馬鹿野郎!』『言い訳してんじゃねえ!』
『。。。。。』
ひとしきり説教タイム。。。(´△`)↓
助けて頂いた立場でもあり、文句も言えずに床を見続けました。
説教をしながらも【船長】は何か取り出してゴソゴソしている。
顔を上げると、【船長】はインスタントラーメンを作ってた。
そして【船長】は作りながら、こう言いやがるんです。
『いまどきの若い者にしては根性あるな。』
『お前ら、あんまり無茶すんなよ』
『本当に無事でよかったぞ』
『さっさと食え』
『暖まるぞ』
って。。。

そう言うと【船長】は船室を出て、碇を上げ【白いヨット】を発進させました。
そのとき船室で仲間と分けあって食べたインスタントラーメンの美味かったこと。
本当に最高のラーメンでした。
ラーメンを食べ終わって船上に出ると【船長】が
『お前ら、帰りも泳いで帰るつもりだったのか?』
『帰りは三河大島から蒲郡港まで船が出てるのでその船で帰ろうと思ってました。』
『海水浴場が営業してるお盆までしか船は出てないぞ?』
『日が暮れたら島で野宿するしかないんだぞ?』
『だいたい、お前らその格好で船代のお金持ってるのか?』
『。。。。。』
『持ってないです。。。』
『本当に馬鹿な奴らだな』(笑)
そうなんです
私達は本当に馬鹿な奴らでした。(笑)
そして【船長、石原裕次郎】は私達を【蒲郡港】まで送り届けてくれました。
↑画像クリック↑
『寒っ~!』
『えっと。。。服ってどこだっけ?』
『竹島の先端じゃね?』
『どいや。。。』『ど遠い。。。』
『あの野郎、こんな遠くに降ろしやがって』
『どうせなら竹島に降ろせって~の!』『だよなぁ~!』
みんな偉そうに文句を言いながらも、心の中ではすごく感謝してたと思うんだ。
そして全員口数も少なく降ろされた場所から着替えの場所まで
裸足でひたすら歩きました。
この辺りから何を話したのか、どうやって家まで帰ってきたのか
当時の記憶がほとんど無いです。
今でも【船長、石原裕次郎】はご健在なのだろうか。。。
あの時、ちゃんと頭を下げて
『ありがとうございました!』って
言えば良かったな。。。
そしてもう一つ。
5人ではなくて4人でした。
【Aグループ】の一人が思い出せず、友達にに電話で確認したところ
【Aグループ=2人】【Bグループ=2人】の4人の物語でした。
今でもこの出来事は私にとって誇りに思える経験です。
あれから一度だって
【竹島~三河大島】を泳いで渡ろうとアタックした馬鹿野郎をほかに聞いた事がありません。
だって、くだらなさ過ぎるもん。゚(゚ノ∀`゚)゚。
でも、こんな経験があって今の私があることは事実だと思います。
付き合ってくれた友達に感謝!
ψ(`∇´)ψ うきょきょきょ
完
長い話になってしまってすいませんでした。m( _ _)m
読んで下さった皆様、ありがとう!
タグ :個人日記
私たちのスタンド・バイ・ミー。No42010年03月15日
→私たちのスタンド・バイ・ミー。No1はこちら←
→私たちのスタンド・バイ・ミー。No2はこちら←
→私たちのスタンド・バイ・ミー。No3はこちら←

すでに薄暗くなって青かった空は灰色になっていました。
そんな中、
【ボート】とオール代わりの【土建屋さんスコップ】と【竹ぼうき】をGETした私達2人は

大急ぎで遭難中の友達の救助に向かいます!
んが。。。しかし!!
右と左でオールの抵抗が違いすぎて、ボートはひたすら回る、回る!@@-
回るだけ。。。
ひっちゃかめっちゃかで全く進みません(´;ω;`)
それでも回りながら岸から20mくらい進んだでしょうか。。。

ふと気付くと、いつの間にか【白いヨット】が近づいて来て、
今思うとアラフォーな船長?が、私達に向かって怒鳴り散らしてきやがった!
『おい!お前ら何やっとんじゃい!!』
『ボート盗んでただで済むと思っとるのか~!!』
『ツレが死にそうになっとんだ!』『助けに行くだけだ!』
『助けたらボート返すわ!』
『あ~!?』『どこ~だ~!?』
『あそこだわ~!』『早く行かんと死んじゃうって!!』
何とか状況を分かってもらえたみたいで、
『お前らはボートを返して来い!』『俺が助けてきてやる!』などと、
石原裕次郎みたいなカッコいいセリフ叫びやがってからに!
でも、体力の限界をとっくに超えてしまっている私達には
彼が《神様》に見えたのでした。

無事に【Aグループ】は救助され、その後に私達【Bグループ】の元へ。
安心したのか、【三河大島】に返しに行く【木製ボート】は
これ鉄でできてるんじゃないか!?ってくらい重かったです。
【三河大島】沖合い30m程の所で待機してくれている【石原裕次郎ヨット】の元へ再び泳いで行き、
乗船する時に上るハシゴは、重力が100倍になったかと思うほど身体が重くて
2人共、生まれたての仔鹿のように『足がカクカク』でなかなか登れませんでした。
PS:写真はすべてイメージです。
つづく
タグ :個人日記
私たちのスタンド・バイ・ミー。No32010年03月14日
→私たちのスタンド・バイ・ミー。No1はこちら←
→私たちのスタンド・バイ・ミー。No2はこちら←
だぶん【竹島】と【三河大島】の中間地点くらいだったと思う。
5人が合流して身体が動かなくなってしまったXXXを交代で引っ張る。
XXXの浮き輪がなんだか柔らかく、空気が抜けている様なので
引っ張っても泳ぐスピードが上がらないし、非常に疲れるので
もう一つの浮き輪と交換しようとするが、
『ダメ。。。浮き輪から手を離したら溺れちゃうよ。』とXXX。
『根性みせんかいっ!ボケっ!』『このままだとみんな死んじまうぞっ!』
それでも、ダメ。 まるでやる気ナシ。。。ORZ
【Aグループ】の残りの2人も、ずっとXXXの面倒を見てきた為に疲労困憊状態。
『これ、本当にやばいな。。。』
ココからだと、行くも戻るも同じくらいの距離かな?
ここで決断しなければ手遅れになる。。。
《【Bグループ】の私ともう一人の友達とで、先に【三河大島】まで行き助けを呼ぼう》と決断!
XXXを【Aグループ】に任せて出発!
『XXXを頼む!』『必ず迎えに来るからっ!』
『とにかくがんばれっ!!』

↑画像クリック↑
すでに日が傾き始め寒くなってきたのを覚えています。
子供ながらに『最悪の事態になっちゃうのでは!?』と思って必死に泳いだのを覚えています。
【三河大島】まで行けば海水浴場の管理人さんがいる!助けてもらえる!
そう思って必死に泳いだ夏休み明け2学期の土曜日の午後。。。
お盆を過ぎると《海水浴場は閉鎖》になって誰一人居ない
【無人島】になる島だとも知らずに。。。

↑あたまの悪いヤンキーども↑
それでも頭の悪いヤンキー2人は、無我夢中で40~50分くらい泳いだだろうか。
やっと【ゴール地点の港の桟橋】にたどり着きました。

振り返ると【Aグループ】の3人は遥か遠くに漂流中。。。
見える限り動いてない。。。死にかけてるとしか思えない状態。
クタクタになりながらも【三河大島】上陸成功!
見渡す限りの【無人島】です。 誰~もいません。
ライフセーバーの監視小屋を発見!
『電話あるかもっ!』『救助呼ぼうぜっ!』
ドア開きません。素手じゃドアも壊せません。。。
『浮き輪ないか?』『掴まる物ないか??』
な~んにも、ありません。。。閉店になった海の家が3軒だけです。
意味もなくオロオロするだけです^^;
その時~!
おおおおおおおっ!!!!!!(゚ロ゚屮)屮
海の家の裏手に6人乗りくらいの白い手漕ぎボート発見!
『コレしかないだろ~!』『いま行くぜ~っ!』『俺たちが助けるぞ~っ!』
『GO~!!GO~!!』
海辺までの50mくらいの砂浜を必死に手漕ぎボートを引きずっていき
『いくぜ~!(`・ω・´)ノ オーッ!! 』
。。。って。。。
【オール】は!? まさか【手】!? 【手】は無理だろ~(´∀`;A
海の家に戻って【オール】を探すが・・・無い。。。
すると友達が、『コレでよくね!?』って
【土建屋のスコップ】持ってきた!

『おおっ!お前って最高だぜっ!それで行こう!』
よく見たら【竹ぼうき】も発見!
『うっぉしゃぁぁ~!』
『今助けに行くからな~!待ってろよ~っ!』
『出航だ~!!GO~!GO~!』
つづく
タグ :個人日記
私たちのスタンド・バイ・ミー。No22010年03月14日
→前回の記事はこちら←
計画性も、先の見通しも何の考えも無い
頭の弱いヤンキー共は後先考えずに海に入ります。
泳ぎだして少しすると。。。
満ち潮!?
『流れてる?』。。。『これって流れてるよね!?』
南西から北東方面へ流れがある事に気づきます。
潮の状態すら事前に確認していませんのでこの有様。
突発的で無計画な頭の弱いヤンキー共の醍醐味です。
直線的にゴール地点を目指すのは厳しい状況です。
私は友達に、このままでは流されて辿り着けないから、『南東方向に泳ごう』と提案しました。
すると友達3人が
『え~。ばれん、ばれん。真っ直ぐ行こうぜ!』なんて事を言いまして^^;
やっぱり頭の弱いヤンキー共は自分が無駄だと思う事は一切しません。(´・ω・`)
↑画像クリック↑
結局2対3で2手に分かれて泳ぎだします。
私はもう一人の友達と【Bグループ】で信じた道をひたすら泳ぎました。
過半数なので本体?な【Aグループ】は3人。浮き輪2つを使い直線的にゴール地点を目指します!
どのくらいの時間が経ったでしょうか。。。
泳いでも泳いでも《三河大島》が近づいてきません(´∀`;A
振り返ると《竹島》はどんどん小さくなっていっています。
でも目標の《三河大島》はまったく近くなっていきません。(´;ω;`)
潮の満ち込みの影響で泳いでも泳いでも進んでいないような感覚です
今思えば大潮に近い潮の流れだったのかもしれません。
2時間くらい泳いだのかな?(時間の感覚が分からなかったです)
100mくらい離れた【Aグループ】の方から叫び声が。。。
『XXXが溺れそう~!』
え~!?まじか~!!!!!!(゚ロ゚屮)屮
急遽【Aグループ】と合流してXXXの様子を見てみると。。。
浮き輪でぐったり。まったく泳ぐ気ナシ・・・
みんな昼飯も食べずにぶっ飛んできちゃったので体力も限界でした。
『がんばれ!泳げって!』『流されて本当に死んじゃうぞ!』
『身体が動かない。。。もうダメ。。。』
すでにゴール目標よりかなり東に流されている。。。
XXXを引っ張りながらの泳ぎになって急激に体力が奪われていく~><
すでにみんな、自分の事だけで必死な状態なのに負担が大きすぎる。
思った以上に海水も冷たくて体力が奪われていき
XXXを交代で引っ張っているうちに他の友達も動きが鈍くなっていきます。
人生で初めて『こいつ死ぬかもしれない』と思った瞬間でした。
不思議と私は死ぬ気がしませんでしたけども♪
(*`▽´*) ウケケケッ
つづく
タグ :個人日記
私たちのスタンド・バイ・ミー。No12010年03月13日
私が子供の頃、親父や、親父の兄弟(叔父さん)から、よく言われていたことがありました。
それは蒲郡の竹島に行ったり、竹島の見える道を通ると決まって
『俺たちの若い頃は、みんな竹島から三河大島まで泳いで渡ったもんだ。』
親父の話に子供心ながら『すげーなー』って思っていましたが
高校生になるとそれなりに体力も付き、世の中は自分中心に動いていて
《俺って無敵!!》
などと勘違いをしちゃいまして。。。
『すげ~な~!』から
『俺にだってできる!あんまり威張ってんじゃね~ぞ!』
となる訳ですハイ(*`▽´*)
↑画像クリック↑
高校3年生の2学期のある土曜日
就職してしまえば大人になってしまう気がして、子供のうちにやらねば!っと
学校で友達に『竹島から大島まで泳ごうぜ!』と誘い
友達5人で作戦決行となりました。
当時、移動手段は原チャリでしたが友達の中に原チャリを持っていない奴もいまして
結局、全員チャリンコで竹島まで向かうことになりました。
土曜日なので学校は半日授業です。
それぞれ海パン、タオルを用意をして
学校のすぐそばにあった私の家に集合~!
蒲郡、竹島へGO!
授業をサボってタバコばかり吸って不健康なヤンキーの兄ちゃん達は
突発性で無計画で頭が弱い。
目標が決まれば、まっしぐらにチャリンコで竹島までの15Kmを行きます。
腕時計すら持っていない私達が蒲郡に着いたのはたぶん3時頃?
竹島の近くのお店で友達の一人が『何かあったらいけないから浮き輪を買っていこう』って言ったんだけど
私は『そんなの邪魔だからいらね~よ!』と突き放し険悪ムードになる。たが結局、2つ購入。
竹島の橋を渡り、沖側の先端まで5人で歩いていき、服を脱ぎ、
海パン一丁で浮き輪2つを持って三河大島へ出発!
誰かが脱ぎ捨てた服を見つけたら集団自殺かと思ったに違いない。。。
つづく
タグ :個人日記
~酒井の想い~2010年01月01日
私たちは、
すべての 『お客様の利益になる仕事』 を追求します。
これは単に『綺麗になった』という結果だけではなく
例えば
・店舗定期清掃メンテナンス 集客増加による金銭的利益
・オフィス定期清掃メンテナンス 衛生環境改善、仕事効率アップ
・エアコン高圧洗浄 快適性、アレルギー対策、電気料金節約
・ハウスクリーニング 感動や笑顔、幸福感
これらすべてを『お客様の利益』 と位置付けております。
その為に 『より美しく、より快適な環境創り』 をご提案し、
お客様の立場に立ってサービスをさせて頂くことによって
お役に立ち
『地域の活性化と豊かな暮らし』 を目指します。
有限会社 酒井美装 代表取締役 酒井潤一